続けさせるために、報酬を与えるってどう?

about-800x494

「ご褒美のためにお金を与えるのは良いのか?」「ゲームをさせるのは良いのか?」といった、質問に統計的に証明している一冊をご紹介。

切り口がとても面白く、子育て中の方はもちろん大人にも通ずるところがあり、ぜひ、手に取ってもらいたい一冊です。定量的な判断は受け止めながらも、個別のこどもたちと向き合っていると、データはもちろん、逆説的にひとりひとりとの向き合って決断することが大切だと思う部分も多くありました。そして、この記事では、「やる気を継続する」という観点で、この本を参考にしてみたいと思います。

その前にちょっとわたしの話です。

 

自分の習ってきた方法はすべて古いと考える

日本の教育はものすごく手厚くて優れている一方、時代が激変しているのに対して数十年変わっていない学校教育の限界を話し合うことが多くあります。私は学校はすごく好きだったので、後悔も不満もありません。でも、実家に帰って母と話していて、ふと思ったことがあったのです。

いまの自分の仕事と過去という観点で振り返ってみた時、3歳で創作(といっても、替え歌)を発表して、4年生で脚本(といっても、学芸会で、しかもパクリ)を書いて、6年生で絵本(といっても、『ぶたのひるね』という完全になめている)を書いていて、中学校の部活では、新体操の演技を振付して曲編集(ダブルカセットデッキで)していたことを。悲しいことに、そんなに褒められず、新体操の演技だって、コーチにまかせた方が持ち味をいかせたんじゃないか、とか、厳しめの意見を頂戴した記憶があります(笑)

あれ?なんか、今の仕事にたどり着くのに、3歳からそんなことをやっていたのだ!と改めて思ったのです。でも、習い事だって「型」が中心で、創作するということに重きは置かれていませんでした。私はいつの間にか創作することをやめ、社会人になり、頭にあるのはクリエイティブなことをしたいというぼんやりとした思いだけで、「企画職」と分類される仕事をするようになりました。そこでは、マーケティングやターゲティングという言葉が踊っていて、創作とはやや違った種類のクリエイティブの仕事をするようになりました。もっともっと自由に発想すること、身近にあることからプロジェクト化していくこと、そんなことを続けられていたらな、と初めて少し後悔をしたのです。もちろん、これまで教えてもらったことに関してすごく感謝をしているのが前提で、いまの時代に、自分が経験してきた習い事や学校教育では古い、そう思うのがここにあります。

 

ピアノをあと2年続けていたら

新たにクラスを開設するバレエの先生と話していたのですが、彼女の家庭では、始めたら10年やることというのがルールだったそうです。私が10年続けたものは、合唱団の活動(小1から高1)で、この活動がいまの仕事の原体験となっています。そこで活躍した人間ではないのに、10年続けたということは私の軸としてしっかり根付いています。一方ピアノは8年でした。確かにあと2年くらい続けていたら、モノになったかもしれないな?という感覚。モノといっても、もちろんクラシックのプロ演奏家ではありません。楽譜を初見でさっくり弾けたり、転調を簡単にできたり、ささっと伴奏をつけるような、表現・創作をする上で使えるスキルがあるといった”モノ”に、です。ピアノの先生は手をかけていてくれていて、音大を進めてくれていました。私がピアノをやめるといった時は、たいそう落ち込んだそうです。先生自身が一生懸命になったところで、私のような才能に出会わなければ叶えられないのです。だから出会わせてもらって感謝しているというようなことを母に語ったと言います。ほんとー!に申し訳なく、恐れ多い言葉です。才能なんていう才能を私は自分に微塵も感じたことはないので。でも、今になって、私もこどもたちに同じような感情を抱くことで共感することはできます。

一方で、なぜそれほどに手をかけてもらったのに、ピアノを続けられなかったのでしょう?ピアノは今でも好きですし、もっと弾けたらと常日頃思っています。その先生は、一つの音を何度も弾かせて響きの違いを感じさせてくれるような人でした。進みは遅く、好きなものが弾けるわけじゃなかったかもしれませんが、確かにそこに通うこどもたちは、音楽を奏でていました。とても良い先生だったと思います。

でも、私は飽きてしまったんです———。

 

才能あるものを続けさせる工夫

今思えば、その時は、部活動の新体操にどっぷり使っていた時期でもあり忙しかったことも続けられなかった要因のひとつです。受験が迫ってきているからという理由もあったかもしれませんが、本当に続けたいことだったら続けていたと思います。その当時、世界的な新体操界の音のトレンドは、ガーシュインなどの現代音楽やジャズ、ピアソラなどのタンゴでした。例えば、そういうカテゴリの音楽を選曲していたら、どうだっただろう(もちろん、私の指がそれに足りていないのは承知で)あるいは、ピアノでできるもっと創作性のあること、作曲やコード進行理論などをその時に得られたら。おそらくに過ぎないのですが、私は水を得た魚のようにピアノに打ち込んだでしょう。

こども(というより人間)というのは、わがままなもの。すぐに飽きる。続けられるように仕掛けるのは大人の役割かもしれないと思い、そのためにたくさんのものを見聞きして、彼女たちが興味のあることで話し合える必要があると思うのです。あるいは、上を目指したい人には、オーディションやコンペなどへの挑戦を促すのも良いかもしれません。

私がそうであったように、初めは楽しくても、伸びが止まった時や他のことが面白くなった時、やめてしまいます。やめることが悪いというのではなく、本当は好きだったり得意だったりすることをやめることなく、上手く付き合っていくことで、その子の将来に繋がる可能性があるということを忘れないでいたいと思います。

 

 アウトプットよりもインプットに報酬を与えることで継続できる

そこで、冒頭の『「学力」の経済学』へ戻るのですが・・・。随分と長い前置きをすみません。

調査では、「アウトプットよりもインプットに報酬を与えた方が伸びた」という結果が出てきます。出来ることに評価を起きがちですが、やったことに評価をしてもらう方が確実であり、やれば確実に伸びるというわけです。これは目から鱗でした。早速こどもたちにも「やった」ことにポイントをあげることに切り替えようと思っています(笑)

前述のピアノのことにしても、出来るだけの腕前があるかどうかより、それに挑戦したい気持ちを大切にする方が結果的に続けて、伸びるということはあったのかもしれません。また、その報酬は、直近のことに一番効くとのこと。もっと複雑で面白い調査結果があるので、それは実際の書籍に解説を譲ることにします。

リトル・ミュージカルでは、全員に役を与えているのですが、やっぱり伸びは早いと思います。まず与えてしまうことで成長は早い。だけど、ずっとその環境にいると当然になってしまうという弊害もあります。いますぐトライできることと、長期的に地道に取り組むこと、そのバランスを大切にしたいと思っています。

 

才能は認め、努力をほめる

タイトルに対しての答えは、Yes! やる気になって続けられれば、全く問題ないと思います。もちろん工夫があればもっと良いと思います。でも一番は、無報酬でやりたい!と思う気持ちが続くこと。本当に一握りの才能は、それでも見落とされず英才教育を受けられるかもしれませんが、大多数は違います。それでも、その子の才能を最大限に伸ばすこと、得意を大切にしてあげること、これは絶対的な評価であるべきです。ただやりたい!という気持ちを、食べていける・食べていけないからで判断することはなく、とにかく突っ走ってやったらいいと思います。

大人の役目は、努力の仕方と成長を仕方をこどもたちに体験として根付かせることだと思います。きっと、こどもたちがすぐに抜いていってしまうのですから。リトル・ミュージカルのこどもたちには、「ひとりひとりが興味のあること」「全員で創ること」をそれぞれ明確に意識づけています。こどもたちが、やりたい!と思うパワーが一番伸ばす要因であることに変わりはありません。ひとりひとりに対して、以下のプロセスを意識して、それぞれのタイミングで適切な言葉を選びたい、そう思っています。

 

(成長を続けるの繰り返しのプロセス)

・顕在化している「やりたいこと」や「自分にできること」を大切にする

・気付いていない「持ち味」を教えて「自分にできること」を明確にする

・「やりたいこと」を形にするところまでの思考を一緒にする

・才能は認め、努力をほめる

 

私が見られたなかった世界をたくさん見せてほしい、本当にそう願っています。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です