世界をうならせる作品を創りたい

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リトル・ミュージカル代表プロデューサーの石垣です。こどもたちとの作品作りの中で、ずっとモヤモヤしていたことがありました。つい最近、そのモヤモヤが解けました。なせモヤモヤしていたかすら分からなかったのですが、解けた瞬間モヤモヤの正体も分かりました。

それは、やっとなぜ自分がプロデューサーを名乗っているのか分かったことで解決しました。そう、今まで、なんとなく名乗っていました(笑)自分という人間をちょっと語らなくてはならなさそうで、あまり好きではないのですが、なぜ、リトル・ミュージカルを立ち上げたのか、別ページで経緯を語らせていただいております。→リトル・ミュージカルを立ち上げたわけ

「こどもの教育目線」と「作品づくり」のジレンマ

これをどう解消するかということ、モヤモヤの原因でした。自分自身もプロのパフォーマーを目指していた時もあり、クリエイティブの出身であり、仕事として創作執筆もさせていただいている中で、教育的な立場だけで作品づくりをした時、どうしても、納得いっていないところがあった、、ようなのです。

こどもたちに対して、わたしは仕事仲間のような感情もあり、一緒に未来を切り開いていく同士のような感覚を持っています。こどもたちが能力を最大限発揮できるようにしなくてはならない、それは確実に「緩さ」ではないはずです。もちろん、舞台に立つものの力量やスキルとしては、足りない。でも面白くて、例えば日本を代表するような作品に立って欲しいのです。こどもが舞台に立てればいい、というだけでは、わたし自身が納得いっていなかったのです。

演出との長時間に及ぶスカイプ会議では、ずっと悩んでいます(笑)「こどもたちが本当に思うこと・やりたいこと」「こどもたちの力量」「舞台という装置ならではの演出作品の面白さ」この3つの上手い折り合いどころがとても難しく、悩みちぎります。

そういうシーンを創りたいけど、いまのこどもの感じだと上手くでないよね、だから、こういう展開にしないといけなそうでよね。でも映像じゃないから、舞台だから、というところを上手く使うとなると・・・?

プロの舞台であれば、演出家や脚本家の意図であって、それを出来る役者を集めるところです。こどもたちの意志を取り入れることで、こどもたちの納得がないと、エネルギーを半減させることになる。そのバランス感覚を保つのが プロフェッショナルの仕事です。 そこにいるエネルギーみなぎる役者たちを使って、どう面白い作品にするかが、プロフェッショナルの仕事です。

もっとこんなことが出来たら、もっとスキルがあったら、実は自分が言い訳をしていたところに気付きました。いやいや、ちょっと待って!

わたしたちには、リアルにその役でしかない役者がいる。逆にプロにはもう出来ない領域のクオリティ(笑)です。そして、大人ではもう分からないこともだちの感覚。これがあって、面白い作品ができないなんてことはないのです。

役者にエネルギーがみなぎる作品が世界を変える

ある映画監督は、役者をその環境に住まわせることで、役になりきらせると言います。その話を聞いて思いました。脚本に編集に時間をかけるなんて、制作サイドのおごりではないか?と。結局表現するのは役者。彼らが、その役を体現しなくては、熱量が伝わらない、伝わらなければ意味がない。そういう意味で言えば、私たちの作品は、すでにそれが出来ている。ある種そのものを見せるのですから。

お姫様になりたかったり、氷のお城に住んでみたかったりするのも、こどものリアルです。そういう役をやるのも、勉強にはなり、想像力を育むことはできるでしょう。でも、作品としては、上手くなりゆきません。彼女たちは、その世界を体現できるほど、生活を変えられないからです。

私たちの作品には「こども」は絶対いなくてはならず、「こどもの世界」を「こどもが演じる」ことで唯一無二の作品となるのです。それを形にするのは、プロフェッショナルの技であり、そこを追求するのはものすごく面白いこと、わたしはそれに、人生をかけたい、そう思っています。

そこにありつけて、ストンと落ちました。「教育的な意味と意義」「クリエイティブの意味と意義」それを両方できなければ、「ミュージカル」である必要はないからです。教育的な意味だけだったら、単発のワークショップなどでいい、他の習い事でいい。ミュージカルでなくてはならない理由、分かっていたのに、きっと自信のなさから自分で蓋をしていました。しかし、素晴らしい演出家に出会い、アドバイザーやスタッフと出会い、こどもたちの変化に出会い、自信を持てるかも!(笑)と思うようになってきました。

リトル・ミュージカルにプロデューサーがいる意味

わたしがいま、「プロデューサー」と名乗っているのは、2つ理由があって、「こども一人一人の才能を育てる」という意味、純粋に「舞台作品」に関わる職業としてのプロデューサーの役割。

前者に対しては、もちろん簡単なことではありませんが、出来る!と思えるんです。その理由が、別ページで述べてきた背景にあります。それに自分自信が上手くいってなかったからこそ、こうして欲しかったというのもよく分かります。完ぺきではありませんが、こども一人一人の持ち味を捉えて、どういう役や内容をしてもらうことでその子がイチバン輝くか、そして、「自分の軸」になるのか、タイミングを見計らって伝え、成長させていくことが仕事です。

どういうときに笑ったか、はじけたか、納得したか、身体が変わったか、心が落ち着いたか、声が出るようになったか、みんなが認めている部分はどこか、他のメンバーに負けないところはどこか、とにかく見る項目は果てしなく多くあります。個別面談もしますし、時には家庭訪問もします。お母さん方とのメールや電話での作戦会議もあります。こどもの才能を高めるためには、なんだってするというのがプロデューサーです。もちろん、ミュージカル劇団ですから、舞台でどう輝かせるか、身体的特徴なども勘案するという点が他の教育現場とは違うところでしょう。

後者の「プロデューサー」その名の通り、作品の魅力を語り、資金繰りをする人物です(笑)

要は公演を満席にし、評価をもらい、作品を成功させなくてはなりません。ここが、今回、本当にやらなくてはいけない役割だと思えて、逆に楽になりました。きっと、わたしがいる意味も探していたのだと思います。非営利団体です、教育機関です、というと、作品自体の価値が低くなってもいいという考えはありません。

いくら焼き直しの作品であれ、再演であれ、こどもたちはその時々取り組むときは、真新しいキモチですし、意味も意義もあります。でも、いま、発表する作品であり、それがいまの世の中に響き、世界に衝撃を与えるんだくらいの気概をもって、見ておかなかったら損だよ!って大きな声で言う、その方法を、頭使って考えなくてはいけないのが、プロデューサーの仕事です。そして、そういう作品にちゃんとしなくてはいけないのも、わたしの仕事です。

世界をうならす作品を創りたい

2015年の新作は、「星空カプセル」という作品です。作品のド頭の着想は「星の王子様」でした。しかしながら、こどもたちと話していたら、 リアルに活きる彼女たちを切り取る青春群像劇になりました。作品制作初期のときのメモや、 アレンジャーへの指示書をみても、 この作品が影響を受けていると思う作品は、トニー賞作品「RENT」であり朝の連続ドラマ小説「あまちゃん」であり日本アカデミー賞作品「桐島、部活やめるってよ」であり・・・。

ミュージカルの、朝ドラの、映画(小説原作ですが)の、これまでとその後を変えたような作品であり、世代は違うにせよ、青春群像劇であり、人間関係劇なのだと。そして、そこにいる役者がリアルであり、 現場で、役の息吹を吹き込まれたような作品たち。役者や役者同士のエネルギー量という意味では、「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」なんていう世界観も近いかもしれません。

今回の作品は「こどもミュージカル」のその後を きっと変える作品なんだろうって思っています。なんて!リトル・ミュージカルはプロ公演ではない。 業界に影響なんてしないし、大げさでしょう。しかし、これは、こどもと作らなくては、本当に成り立たない。こどもの感性で共鳴しないと、役に息吹は吹きかけられない。

こんな創り方をするこどもミュージカルは観たことがない!!だた、創り方というプロセスに終始しては、作品としての評価は得られない。見せるものが、素晴らしいものであるように。こどもにそれは求めません。自分がストイックであるだけ。そのスタンスを壊さないように。

「RENT」は、役者とワークショップスタイルで作り上げられた名作ですが、プレビュー公演の朝に、原作作詞作曲脚本のジョナサン・ラーソンが急逝しました。そして、公演は、演技をせず、本読みスタイルになったそうですが、途中「ラ・ボエム」という曲から役者が踊りだし、最後に観客が口々に「サンキュージョナサンラーソン」と言った伝説の公演となりました。トニー賞を総なめ、現在ブロードウェイでの公演回数が歴代8位という大作です。

公演の初日そんなことにはならないよう、体調は整えた上で、作り上げた作品をちゃんとこの目で見れますように。

2015年7月1日 プロデューサー 石垣清香

 

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